口語訳聖書は、新共同訳が完成するまでの32年もの長きに渡り、標準的な日本語聖書として用いられてきました。口語訳聖書が出版された当初は、文語訳に比べて日本語文体が不自然、曖昧などと不評だったと言われています。
敬語の使い方や代名詞の使い方が不適切と批判もされましたが、文語訳の文章に馴染みがない若い世代にも、聖書が受け入れられるようになりました。現在では、文語訳よりも口語訳の方が日本語として優れていると考える学者も少なくありません。
口語訳聖書の編さん
1887年に初めての旧新約全巻が刊行され「明治訳(元訳)」と呼ばれて親しまれ、やがて新約部分が改訂された「大正改訳」(1917年)が出版されました。以来20年余りが経ち、1941年に旧約聖書の改訳が決議され、新しい聖書翻訳が開始されました。
当初は再び文語体での改訳を進めていましたが、第二次世界大戦後に本格化した「国語改革」の影響を受けて、八割まで出来上がっていた原稿を棚に上げ、1951年4月より、米、英両聖書協会の協力を得て新たに口語訳での翻訳が始められたのです。
他の多くの出版物で当用漢字や新仮名遣いが採用されるなか、聖書が「民衆の書」として在り続けるために口語での翻訳が実行されるに至ったわけです。この翻訳は、初めて日本人の聖書学者によってなされ、1954(昭和29)年に新約、1955(昭和30)年に旧約が完成し、出版されました。
当然ですが、口語訳聖書は、文語訳聖書をそのまま口語訳に直したものではありません。ヘブライ語聖書は『ビブリア・ヘブライカ第3版』(ヴュルンテンベルク聖書協会1937年)、ギリシア語新約聖書は『ネストレ校訂第21版』(ドイツ聖書協会1952年)を底本にして翻訳され、英、独、仏他各国20種類以上の聖書が翻訳の参考とされました。
聖書の翻訳は遂語訳を基本としますが、語句の一つ一つを日本語に直訳しようとすると意味が通じなくなる部分も多々あったことでしょう。翻訳者には、文章に現れないニュアンスを感じ取り、それらを正しく表現する能力はもちろんのこと、深い信仰、神への愛が試されたと言えるでしょう。
文語訳との違い、口語訳の特徴
口語訳のローマ人への手紙8章19節を明治訳の同じ所と比較してみましょう。口語訳と文語訳を読み比べると、同じ文章でも言葉が置き換えられたり、表現方法が変化している部分が多々あることに気付きます。
「それの受造者の切望は神の諸子の顕れんことを俟るなり」(明治訳)
「それ造られたる者は、切に慕ひて神の子たちの現れんことを待つ」(大正改訳)
「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる」(口語訳)
明治訳における“受造者”とは「つくられしもの」という仮名に対する当て字に過ぎず、日本語として定着することはありませんでした。大正改訳で造られたる者となり、口語訳では新たに“被造物”という熟語に翻訳されました。
このように、標準的な日本語の文章として意味が通じやすくなるように熟語が採用されているのも、口語訳の特徴です。同様の例として、マタイによる福音書では、“復生”が“復活”に改められ、よりわかりやすい表現に改められました。
「復生なしと言なせるサドカイの人この日イエスにきたり問て」(明治訳)
「復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、その日、イエスのもとにきて質問した」(口語訳)
明治訳から文語訳、口語訳と翻訳を改めるごとに、時代に即した正しく美しい日本語聖書が追求されたのです。