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聖書の翻訳とは

掲載日:2014/11/11

聖書の翻訳とは

2008年8月日本聖書協会発行『SOWER(ソア)』No.32より
*文中にご紹介する社名、人名や肩書き、製品やその機能、価格等は当No.発行時のものです。
*なお、写真や図版が加わったソアのバックナンバーPDFは
http://www.bible.or.jp/soc/soc07.html
からダウンロードできます。

3月12日、13日の2日間、国際文化会館(東京・六本木)において『聖書翻訳ワークショップ』が日本ウィクリフ聖書翻訳協会と日本聖書協会の共催で開催されました。

聖書翻訳の最新理論や日本語の変化についての講演、少数部族の言語への聖書翻訳の実例紹介など、翻訳ワークショップの様子を報告します。                  
  −編集部

桜にはまだ早く、肌寒い日が続いていた3月中旬、国際文化会館の美しい日本庭園では、紅白の梅の花が春の訪れを告げていた。『聖書新共同訳』発刊20周年を機に企画された今回の『聖書翻訳ワークショップ』には、海外からの1名を含む4人の講師が招かれた。

落ち着いた雰囲気を持つ会場で、聖書翻訳の現在に高い関心を持つ方々およそ50名が参加し、和やかなうちにも活発な議論が交わされた。

聖書翻訳を支える最新の理論

今回、実質的な基調講演を行ったデ・フリス氏は、一昨年の『国際聖書フォーラム2006』に続く2度目の来日。教鞭をとるオランダのアムステルダム自由大学は、大学院レベルで聖書翻訳の講座を持つ世界で唯一の大学だという。

学期の合間などに定期的にインドネシアへ飛び、聖書翻訳指導を行っている氏が提唱する「スコポス理論」では、聖書がどのような人々を対象にし、それにどのような役割を持たせるのかという視点から聖書翻訳を行う。

<スコポス>には「目的」「機能」「目標」「役割」といった意味があり、たとえば、礼拝でクリスチャンが使うことを主たる「目的」とした翻訳であれば、「贖い」「神の国」「義認」など、クリスチャンが慣れ親しんだ言葉を用いるといったことである。

一方、キリスト教の背景が全くなく、聖書を読んだことのない若い世代に聖書の言葉を伝えるということを主たる「役割」と設定して新たな翻訳をするとすれば、「贖い」「神の国」「義認」といった独特な用語を伝わりやすいように変える配慮や、文体などに世代に合わせた工夫が必要になってくる。

つまり、「子供のための聖書」「イスラム教徒のための聖書」「聖書研究のための聖書」というような特定の目的を明確に設定することで、翻訳全体に一貫性を持たせることがスコポス理論の主眼といえる。

オランダ語訳聖書での実践

2004年に刊行され、非常に高い評価を得ているといわれる新しいオランダ語訳聖書の翻訳作業では、旧約聖書の神名「YHWH」について、聖書学者が「ヤーウェ」「ヤハウェ」「JHWH」「その名」「主」といった可能な選択肢を提示し、その中から翻訳書がスコポスに従って「主」を選んだという。

翻訳は常に「原典への忠実さ」が求められるが、ここに挙げた選択肢はすべて原典から許容される範囲であり、どれが「正しい」訳であるかは、このままでは判断できない。ここで、<スコポス>の登場となる。

翻訳者は、聖書学者が示す選択肢の中から翻訳の目的に最も適っていると考えられる訳語を選ぶ。逆に見れば、先に挙げた「贖い」などの言葉が<スコポス>に合わないと翻訳者によって判断されたとき、別の可能な選択肢を示すのが聖書学者の役割ということになる。

この点において翻訳者と聖書学者の役割は明確に区分される。スコポス理論においては、訳を決めるのは<スコポス>であって、訳者の主張や好みではない。

つまり、唯一の正い訳を目指すのではなく、複数の正しい訳から目的に最も適う語を選択する翻訳ということである。

まだ訳されていない言語への聖書翻訳

今回のワークショップは日本聖書協会の単独開催ではなく、日本ウィクリフ聖書翻訳協会の共催であることが特徴のひとつ。同協会からは2人の講師が参加した。

イラルトゥ語というインドネシアの部族語への翻訳に携わる村松隆氏からは、まだ聖書が訳されたことのない言語に聖書を翻訳する際の現場の苦労を伺った。

一例として、「ともし火を……入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く」(ルカ11・33)にまつわる話をご紹介しよう。何の問題もない文章のようでも、イラルトゥに燭台というものがないとなると、話は違ってくる。当然、それを意味する単語もない。

そこで、部屋を広く照らす灯りはイラルトゥでは梁にかけるランプであったことから、「……光が見えるように、梁に引っ掛けます」と翻訳したという。その他、「ありがとう」にあたる表現がないなど、2日目に開かれたディスカッションでも、氏の語る苦労話は参加者の興味を大いにひいていた。

もう1人のウィクリフからの講師、福田崇氏のテーマは、翻訳がひと通り済んだ後の検証過程について。その過程は実に9段階にも及び、たとえば、内容を知らない人に読ませ、質問し、翻訳の不具合を見つける段階、朗読による文章の滑らかさのチェック、訳語の統一性の検証など、その過程はきめ細やかに定められているという。

中でも目新しく感じられたのは、完成した訳文を英語などの一般的な言語にさらに訳すことで、訳の完成度を確認する過程であった。

少数民族の言葉への翻訳では、財政的、人的理由から改訂はほぼあり得ないので、細心の検証過程が必要とされるとのことだったが、よりよい翻訳のために何重にもわたる確認、検証が必要なのは、どの言語でもかわりないだろう。「下訳はプロセスの10分の1でしかない」という福田氏の言葉が印象的だった。

言葉は変化する……

日本語への翻訳について考えるのであれば、当然のことながら、日本語のことを知る必要がある。学習院女子大学の福島直恭氏には、「日本語の変化」を焦点にお話を伺った。

よく日本語の「乱れ」の例として「ラ抜き言葉」が挙げられる。「食べれる」など、若者独特の言葉のように思われているが、すでに100年ほどの歴史があるそうである。

今日では一般的に「食べられる」が「正しい」と考えられているが、将来において単に「古めかしい」形になり、やがて消えていく可能性もあることが、すでに日常語としては「書いて」に取って代わられた「書きて」を例にして説明された。

若い世代であっても、自分たちの言葉を携えたまま年を重ねていくという単純な事実を考えれば、こうした変化が不可避的に進行しているというのも頷ける。こうしたことを「言葉の乱れ」「堕落した日本語」などと否定的に表現すべきではないというのが氏の主張のひとつであった。

日本語に限らず、日常的に使われている言語の変化は、ゆっくりとしてはいるが、避けることはできない。

今回は「乱れ」として捉えられている変化をきっかけに話は進められたが、その他の変化も静かに進行しているのは明らかであろう。「正しい」「乱れている」という判断はすべきでないとしても、広く一般に受け入れられる翻訳を目指すのであれば、「新しい」か「古い」かを判断する日がいつかやって来る。

大多数の人が「古い」と判断するようになったとき、日本語の変化はひとつ進むということになろうか。
 

ワークショップをふりかえって、改めて聖書翻訳について考えてみたい。

ナイダ理論と逐語

「動的等価」という翻訳理論についてご存知の方は、デ・フリス氏のスコポス理論をその発展型とお思いになるかもしれない。提唱者ユージン・ナイダの名をとって「ナイダ理論」などとも呼ばれるこの理論では、原典の持つ意味を伝えるために、かなり大胆な意訳を行う。

ワークショップでとりあげられたイラルトゥ語への翻訳で、「燭台」を「梁にかけるランプ」と訳したのはその好例である。「雪のように白く」という句を、雪に全く馴染みのない南国の言葉に訳す場合、現地で「雪のような」白さを持つものを訳語に採用して、たとえば「ヤギの乳のように白く」と訳す。

この理論による翻訳は、1970年代から80年代にかけて各国で盛んに試みられた(一連のいわゆる「グッドニュース・バイブル」)。

日本でも1966年にナイダ氏を招き、聖書翻訳者研修会が開催され、その理論に従って翻訳された『新約聖書 共同訳』が1978年に刊行されている。

こうした試みは、聖書独特の用語や文化を十分に理解できなくても聖書のメッセージが伝えられるようにという願いを背景にしている。この点でナイダ理論は、伝道の手段としての翻訳という、聖書翻訳の独特な側面を如実に示したものといえる。

原典をできる限りそのまま訳す「逐語訳」は、極端な場合になると、語順や時制などの文法的要素も可能な限り(あるいは不自然な形であっても)原典の文法に近づけようとする。

程度の差はあるが、逐語訳には、原典の「形」を保存しようとする傾向がある。それゆえ、「形」の保存を堅持するために、「意味」が伝わりにくくなる場合もある。ナイダ理論はそれに対して、原文の持つ「意味」に忠実であろうとして、「形」の保持にはこだわらなかったのである。

スコポス理論がもたらすもの

さて、どちらが「原典により忠実」だろうか。

その答えを出すのは簡単なことではない。「意味」と「形」――基準が違うのである。しかし、これまでの歴史をふりかえってみると、「動的等価と逐語訳ではどちらが優れているのか」が問われ、多くの葛藤が見られた。

日本でも、「動的等価」に基づく訳は、新約聖書を訳した『共同訳』だけで、逐語性重視の方針に切り替えられ、現在の『聖書新共同訳』につながった。デ・フリス氏のスコポス理論は、スコポスすなわち翻訳の目的という仲介者を導入することによって、動的等価と逐語訳の間の不要な対立を解消しようとする。

スコポス理論の中心である「訳語の選択基準の設定」が持つ意味は想像以上に大きい。それは「正しい訳とは何か」と問うことでもある。

多くの場合、原典に対していくつかの訳の可能性が示されるが、スコポスが明確に設定されていない翻訳では、選択基準が不明瞭であるため、あるひとつの訳語が選ばれ、他の候補が不採用になった理由は明らかにされない。

そこでは、選択された訳語の「正しさ」が示され、選ばれなかった語は「間違い」とされかねない。スコポス理論は、そこに「正誤」ではなく基準の相違を設定することで、翻訳過程を透明化する。

スコポスの設定によって、翻訳者同士の軋轢は格段に減り、読む人が感じる疑問も大幅に減るだろう。

翻訳と原典

明治訳依頼、聖書の日本語訳には、すでに100年を超える歴史がある。七十人訳ギリシア語聖書に始まる聖書翻訳の長い歴史からすれば短いが、それでも主な和訳聖書の種類は、ざっと挙げるだけでも10近くになる。

主要な聖書翻訳
  前3〜2世紀70人訳聖書(ギリシア語)
  4世紀ウルガタ(ラテン語)
  1522ルター訳(ドイツ語)
  1611ジェームズ王欽定訳(英語)
  1946改訂標準訳(英語)
  1976「グッドニュース・バイブル」

主要な和訳聖書
 16世紀後半キリシタン訳
  (中国語訳)
 江戸末期〜明治初期
  宣教師たちによる訳
<聖書協会訳>
  1887文語訳(明治訳)
  1917文語訳(大正改訳)
  1955口語訳
  1987新共同訳
<カトリック系>
  1910ラゲ訳
  1964バルバロ訳
  2002フランシスコ会訳
<その他>
  1901ニコライ訳
  1970新改訳
  2004岩波訳

ひとつの翻訳で十分とされず、いくつもの和訳がなされたのは、それぞれに意図があってのことだろう。世代によって、馴染み深く聞きやすい言葉は変わっていく。それもまた、新たな翻訳が行われる要因のひとつとなる。

すでに日本語に訳されている言葉を見つめ直す必要は常にある。既存の訳を比較すれば、そこに先人たちの苦労が見てとれ、あるいは新しい訳案も見出されるかもしれない。

いずれにしても重要なのは原典ということになる。今年、日本聖書協会では、聖書の原典が辿ってきた歴史を中心テーマに、毎年恒例の「春の聖書セミナー」を行った。機会があれば、その模様もいずれお知らせできればと思う。

聖書の翻訳は終わりのない作業である。新しい訳が完成すれば、次にはその改訂が計画される。聖書の言葉を伝える最善の手段が常に追求されているのである。

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