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プロテスタント宣教150年の道程

掲載日:2014/11/11

プロテスタント宣教150年の道程

2009年9月日本聖書協会発行『SOWER(ソア)』No.34より
*文中にご紹介する社名、人名や肩書き、製品やその機能、価格等は当No.発行時のものです。
*なお、写真や図版が加わったソアのバックナンバーPDFは
http://www.bible.or.jp/soc/soc07.html
からダウンロードできます。

プロテスタント宣教150年特集の後編は、大正改訳『新約聖書』から、今年の150周年記念大会に至る、約100年間の流れを取り上げました。
−編集部

  1. 明治中期から大正時代へ

欧化主義とキリスト教学校の設立

1859年に来日した宣教師たちを中心として74年に組織された聖書翻訳委員社中、次いで聖書翻訳出版常置委員会によって初めて旧新約全巻が日本語に訳され、明治訳聖書(文語訳)が87年に完成した。

この頃は、71年の廃藩置県、77年の西南戦争の終結により、明治政府の基盤は確たるものとなっていた。そして80年代、日本は欧米の技術を積極的に取り入れ、ほかのアジア諸国に先駆けて産業革命をなし遂げる。

政府や世間一般にもキリスト教への好意的な風潮が醸成され、教会は人で溢れるようになった。それにはとりわけ、72年の学制発布により義務教育が普及し始めたことが大きい。70年代には全国的にキリスト教学校が設立され、特に数多くの女子教育機関が開かれたのであった。

大正改訳『新約聖書』

明治訳は名訳として高く評価され、文学界など、日本人に広く親しまれた聖書だったが、時代が進むにつれ、国語の変化や聖書学の進歩により、改訂の声が上がるようになった。

そこで1907年、改訳作業を進め、10年後の17年、大正改訳『新約聖書』が完成に至った。明治訳がほぼ全面的に海外の宣教師主導で進められたのとは異なり、大正改訳では初めから日本人翻訳委員が選ばれていることが画期的であった。

植民地主義と自由民権運動の時代へ

その当時の日本では1873年に太陽暦が採用されるなど、国民生活や意識にも大きな変化が生まれていた。

89年には大日本帝国憲法発布、その翌年には帝国議会が開設され、明治中期は、法制度や近代水道や全国鉄道網など、社会基盤の整備によって近代国家の形成が急ピッチで進んでいく。

同時に、日本は世界の中での存在感を増し、欧州列強に遅れまいと、朝鮮、中国などに植民地獲得の手を伸ばしていく。そして日清戦争、日露戦争などの対外戦争の勝利により、国民の意識の中に次第にアジア諸外国への優越感と差別意識が植えつけられていく。

日露戦争に先駆けては内村鑑三が非戦論を展開し、平和主義を唱えてキリスト者としての存在感を示した。しかしナショナリズムの高まりによってそれも抑え込まれてしまった。

ただ、救世軍の街頭募金活動(社会鍋)、廃娼運動、女性の地位向上を目指す働きが見られるなど、現在の社会運動と福祉活動の基礎が形作られたのもこの頃であった。

大正デモクラシーとキリスト教社会運動

1909年10月、全国の諸教会の協力によって東京基督教青年会館において「開教50周年記念園遊会」が開かれた。

そして、1912年、明治天皇の崩御とともに大正天皇が即位し、大正時代に入ってすぐの14年、第一次世界大戦が始まる。日本経済は好景気となり、大正デモクラシーの機運が形成されていく。

しかし1923年9月1日、相模湾を震源とする大地震、いわゆる関東大震災が起こり、横浜全域と東京の大半が灰燼に帰した。

  1. 軍国主義から第二次世界大戦へ

世界恐慌と神の国運動

その痛手も癒えぬうちに迎えた昭和初期、1929年のニューヨークでの株価暴落を発端とする世界恐慌に見舞われる。社会不安に煽られ、農村では右翼革命の思想、都市では共産主義思想が盛んになった。

そのため、キリスト教に対しても圧迫が加えられるようになる。その一方で、同年、日本基督教連盟は、賀川豊彦を中心とした伝道活動「神の国運動」を日本全国だけでなく、朝鮮、台湾、満州にまで展開したところ、各地の集会はたいへんな盛況ぶりであった。

日本基督教団の成立と教会弾圧

しかし、1930年代は経済状況も逼迫し、キリスト教界への統制の圧力はさらに強まっていった。政治、経済分野でも同様で、32年の5・15事件や36年の2・26事件など、軍部の暴走が暗く世を覆う。

31年に満州事変勃発、33年には日本は国際連盟を脱退して国際社会での孤立を深め、世界戦争へと突入していく。39年には宗教団体法が制定され、教会は軍国主義統制下に置かれた。

日本基督教連盟は米国への接触をはかり、国際親善の試みを行うも不調に終わり、軍部の圧力はいっそう激しさを増した。そこで1941年6月、33教派代表が東京・富士見町教会に集い、総会決議によって日本基督教団が成立した。

合同に応じなかったのは聖公会やホーリネス系教会の一部であったが、これらの教会に対しては厳しい弾圧が加えられ、獄死した教職者も少なからずあった。

1942年のミッドウェー海戦での大敗以来、日本軍は各地で敗退し、沖縄での地上戦、広島、長崎への原爆投下を経て、45年8月、無条件降伏によって戦争の幕が閉じるまで、日本のキリスト教界にとってもきわめて苦難の時代が長く続いたのであった。

  1. 戦後復興の歩み

アメリカから贈られた新約聖書

国土が焦土と化し、人々が精神的支柱を失って呆然とする中、全米の教会代表が来日して被害状況を視察し、救済のための支援を呼びかけた。それに助けられて、多くの教会、学校の復興がなされている。さらに全米の教会では、日本へ聖書を贈る募金運動が展開され、米国聖書協会が印刷した文語訳新約ほか、計700万冊もの聖書が贈られた。

戦後復興と『口語訳聖書』の完成

教会の復興が進み、戦後のキリスト教ブームによって、教会に多くの人が集う中、戦争で中断していた旧約聖書改訳の再開が検討された。しかし、国語の変化が著しく、また時代の要請により、日本聖書協会は、新仮名遣いと当用漢字を用いた現代語に旧新約聖書全体を改訳することを1951年に決定し、聖書協会創立150周年記念となる55年に『口語訳聖書』が完成した。これは、宣教師によらず日本人だけで初めて翻訳した日本語聖書となった。

日本キリスト教宣教100年記念大会以降

1948年には、教派、団体を超えた機関として、日本基督教連盟を前身とする日本キリスト教協議会(NCC)が結成された。また、宗教団体法の廃止に伴って離脱する教派も相当数あったが、1700余の教会、19万の信徒を擁する日本基督教団は、日本最大のプロテスタント合同教会として今日に至っている。

1953年以来、宣教100年運動が展開され、59年、日本キリスト教協議会主催により「宣教100年記念大会」が開かれた。実際に集った各派の信徒は8000人を数える。

また同年秋にはNCCとは別に、福音伝道を強調する、福音派と呼ばれるグループによって「日本宣教100年記念聖書信仰運動」の大会が各地で開催されている。こうした新しい流れも含め、戦後の復興も一段落して、キリスト教の行く手には明るい未来が約束されていると感じられた。

福音派、聖霊派の成長

その後、多くが戦後に開拓された福音派教会が伸張し、1968年には日本福音同盟(JEA)が結成された。また、『口語訳聖書』に対し『新改訳聖書』(日本聖書刊行会)が70年に発行され、多くの福音派教会で用いられている。現在では聖霊派教会が若者を中心に成長著しい。

しかし伝統的な教派、教会は、高齢化と教職者の不足という大きな課題を抱えている。

  1. エキュメニズムの高まりと『聖書新共同訳』

一方、カトリック教会では、1962年、ローマ教皇ヨハネ23世が第二バチカン公会議を開き、教会の現代化を推し進めた。

16世紀の宗教改革以降、カトリックとプロテスタントは別々の道を歩んできたが、この公会議によって、カトリック教会の枠内にとどまらず、プロテスタント諸教会にも、世界的な和解と一致への気運が高まった。

そうした中でカトリック、プロテスタント共同での聖書翻訳事業が起こされ、18年間の翻訳期間を経て、87年に『聖書新共同訳』が完成し、現在、国内で最も広く読まれる聖書として普及している。

  1. まとめ

宣教150周年記念大会から宣教200年に向けて

2009年7月8、9日、開国の舞台の一つとなった横浜の地で「日本プロテスタント宣教150周年記念大会」が開催された。NCC系とJEA系、また日本リバイバル同盟(NRA)などの聖霊派、そして数多くの単立教会も共に賛美と祈りの声を合わせたことは画期的であった。

前夜の7日に開かれた晩餐会も含め、延べ16,000人が集い、信仰の未来への継承を誓い合った(本誌14、5頁に報告記事)。

本稿後編では、激動のプロテスタント史のみならず、関係の深い日本史全般を含め、大まかに振り返った。

戦後64年を経過した今、時代はきわめて流動的かつ不安定な様相を呈している。しかしなお、その歴史の背景には必ず主なる神の恵みの支配が及んでいる。今、果たすべき責任は何か、私たちの誰もが自問し、答えを探すべきなのだろう。

関係略年表

明治
1887 聖書翻訳出版常置委員会(文語)『旧約全書』完成
1895 救世軍日本で開戦(伝道開始)
1903 内村鑑三、非戦論展開/各派共通「さんびか」完成/日本YMCA同盟設立
1905 日本YWCA設立
1909 開教50年記念祝賀会開催
1910 エジンバラ世界宣教会議開催

大正
1917 大正改訳『新約聖書』完成
1920 第8回世界日曜学校大会、東京で開催
1923 日本基督教連盟(NCC)結成

明治
1929 賀川豊彦による「神の国運動」始まる
1940 皇紀2600年奉祝全国基督教信徒大会/救世軍幹部検挙
1941 日本基督教団成立
1942 日本基督教団戦時布教方針決定
1943 救世軍/ホーリネス系諸教会弾圧により解散
1945 第二次世界大戦終結直後米国キリスト教使節団来日
1948 日本キリスト教協議会(NCC)設立
1950 ラクーア伝道開始
1951 日本福音連盟結成
1954 新『讃美歌』完成
1955 『口語訳聖書』完成
1956 ビリー・グラハム来日、第1回伝道大会開催
1959 日本キリスト教宣教100年記念大会、大阪クリスチャンクルセード開催
1961 東京クリスチャンクルセード開催
1962 第二バチカン公会議(〜1965)
1967 日本基督教団、第二次大戦下における責任の告白を総会議長名で発表
1968 日本福音同盟(JEA)設立
1970 日本万国博覧会キリスト教館出展/『新改訳聖書』完成
1980 ビリー・グラハム来日、各地で国際大会開催
1987 『聖書新共同訳』完成

平成
1996 日本リバイバル同盟(NRA)設立
2000 東京大聖書展開催(死海写本アジア初公開)
2009 日本プロテスタント宣教150周年記念大会開催

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