2010年3月日本聖書協会発行『SOWER(ソア)』No.35より
*文中にご紹介する社名、人名や肩書き、製品やその機能、価格等は当No.発行時のものです。
*なお、写真や図版が加わったソアのバックナンバーPDFは
http://www.bible.or.jp/soc/soc07.html
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2009年12月、日本聖書協会理事会は新しい聖書翻訳事業の開始を決定しました。この事業の決定に至る背景と今後の予定を、ここに簡潔に記したいと思います。
−翻訳部
○『新共同訳』に至るまで
19世紀に日本へのプロテスタント宣教が開始されると同時に、聖書の日本語化への取り組みが始まりました。1887(明治20)年に出版された『文語訳』(明治元訳)は、キリスト教会のみならず、当時の日本の思想、文化の発展に大きく貢献しました。第二次世界大戦後は、国語教育の変化に対応して『口語訳』が出版されました。
これらの聖書はおもにプロテスタント教会で用いられてきたものですが、1987年に刊行された『新共同訳』は、プロテスタントとカトリックが共同で行った、期を画する事業の結実でした。多くの翻訳者が教派を超えて協力し、原典に忠実に、数々の困難を乗り越えて、長い年月をかけて完成したのです。
刊行後は、カトリック、プロテスタントの多くの教派で用いられ、また多数のキリスト教主義学校に採用されてきました。
現在、日本の教会や学校で用いられている聖書のおよそ8割が『新共同訳』となっていますし、『新共同訳』の旧新約聖書および新約聖書の頒布数は、2008年までに累計1,000万冊を突破しました。まさにプロテスタント、カトリックの違いを超えた共通の聖書として広く用いられているのです。
○新しい翻訳の必要性
しかしその『新共同訳』も、出版されてから20年以上が経ち、次世代のための聖書を考える時期に来ています。実際、過去の翻訳聖書は、時代とともに変化する日本語に対応して、約30年おきに改訳か新たに翻訳されています。
もちろん、日本語を新しくするだけではありません。今までの先達の労苦から十分に学びつつ、これまでの邦訳に対して頂戴した批判もしっかり受け止めた上で、より良い日本語の聖書を求めていかなければなりません。
また、過去20年余りの間に、翻訳の元になるヘブライ語やギリシア語写本の研究が進んで、一歩ずつ原典に近づき、聖書学も発展して、聖書の意味もより明らかになってきています。また翻訳作業自体も、過去の経験からより良い翻訳理論や実践が積み上げられています。このような学問上の成果も取り入れることができます。また、聖書協会世界連盟が開発した翻訳ソフトウェアを用いることで、より早く、かつ統一性のある翻訳が可能となりました。
○新しい翻訳のための準備
そこで日本聖書協会は2006年から、新しい翻訳事業の可能性を探り始め、翻訳理論や実践の研究を重ねてきました。また、広く一般の方々にも聖書について意識を持っていただくために、06年と07年には「聖書フォーラム」を開催いたしました。
その中でも、ヘブライ語とギリシア語聖書の新しい校訂本に関する講演、またアムステルダム自由大学翻訳学教授で聖書協会翻訳コンサルタントでもあるローレンス・デ・フリス博士による講演は、翻訳のために特に有益でした。
聖書協会の理事、評議員とは懇談会を3回開き、そこに京都大学名誉教授の水垣渉先生(「聖書的伝統における翻訳の問題」)、カトリック箕面教会の和田幹男司祭(「共同訳理念の継承、フランシスコ会訳との関わりについて」)、そして東京神学大学教授の近藤勝彦先生(「聖書翻訳と日本での宣教について」)をお招きして、翻訳に関する理解を深め、論議を重ねてきました。
2008年3月12、13日には、聖書翻訳ワークショップを日本ウィクリフ聖書翻訳協会と共催しました。
アジア・大洋州地区ウィクリフ総主事の福田崇先生からは、翻訳文を何重にもチェックする大切さ、インドネシアで翻訳に携わる松村隆先生からは、たとえばロウソクの灯を台の上に置かずに梁から吊す文化ではどのように聖書を訳すのかといった現場の問題、学習院女子大学日本語学教授の福島直恭先生からは、日本語も必ず変化するものなので「乱れ」とは簡単に言えないことなどを学ぶことができました。
このワークショップには、2006年に及びしたデ・フリス博士に再度、講演に来ていただきました。従来、聖書翻訳においては、動的等価(意訳のような考え方)と直訳に近い翻訳が対立的に捉えられてきました。
しかし、そのような翻訳方針の違いは、どちらが良いという問題ではなく、翻訳聖書が誰のために(聴衆)、何のために使われるのか(機能)の違いによって生じるのだと整理してくださいました。
また、原典の意味を解く聖書学者と、それを良い日本語にする翻訳者という二者の役割の違いも整理してくださいました。デ・フリス氏の講演によって、今後の聖書翻訳事業の基礎となる重要な枠組みが提供されたと言えるでしょう。
○諮問会議
日本聖書協会の翻訳事業は、諸教会に用いられ、また広く社会にみ言葉を伝えるために行われてきました。
そのため、個人訳を採用せず、委員会訳と呼ばれる共同による翻訳作業を行ってきました。一個人の好みや解釈に左右されず、さまざまな要素を考慮して、できるだけ多くの視点からの確認が必要とされるからです。
また、日本聖書協会は2008年6月、国内の30の諸教派と団体に対して、代表を送って新しい翻訳の可能性について話し合っていただくようお願いしました。これも、広く諸教会に仕えるという聖書協会の伝統的立場に沿うものです。そのうち、カトリックを含む18の諸教派、団体が応答して議員を派遣してくださり、2008年の10月から4回にわたって諮問会議が開催されました。
2009年10月6日に持たれた、最終回となる第4回諮問会議では、本稿末尾に掲載した「翻訳方針前文」が採択され、日本聖書協会理事会に答申されました。2009年12月4日の理事評議員会では、この前文に基づいて新しい翻訳事業を行うことが決議されました。
この前文は、新しい翻訳事業の憲法にあたるもので、今後の翻訳事業はこの前文に基づいて行われることになります。
この前文を考慮し採択した18の教派、団体の信徒数は、日本国内のクリスチャン人口の75.3%をカバーしています(『キリスト教年鑑』2009年度版)。つまり、この諮問会議は日本のキリスト教会をほぼ代表し、この前文に表現されている翻訳聖書は、諸教会によって求められている聖書と言えるでしょう。
教派を超えた日本の標準訳となることが望まれています。
○今後
今後は、翻訳者が同一の方針に沿って作業を進められるように、また翻訳から出版まで一貫した方針で事業を進めるために、翻訳方針前文を基に具体的な翻訳上の方針を定めます。そして、諸教派団体から推薦される翻訳者を中心に翻訳を開始します。
今回の翻訳事業の特徴の一つは、聖書協会世界連盟内で促進されている新しい方針を採択している点です。今までの翻訳は、ヘブライ語、ギリシア語という原語を理解する方々を中心に翻訳がなされ、それを最終的に日本語の専門家がチェックするという方法でなされてきました。
しかし、今回の事業では、原語担当者と日本語担当者が最初から二人三脚で行います。原語担当者は原典の意味を明らかにし、日本語担当者はそれをより良い日本語にするというもので、より効率よく、良い日本語の翻訳がなされると期待されます。この方式は、2004年に刊行されて成功を収めた最新のオランダ語聖書にも用いられました。
原語担当者と日本語担当者が作成した訳文は、朗読にふさわしいかどうかをチェックする朗読チェックを受け、多くのモニターによる意見を吸収し、諸教派の意向を考慮し、聖書学や教義学等の専門家からの批評によって改訂されて、最終的な訳文に至ります。
このたびの翻訳聖書は、次頁に掲載する前文にあるように、日本の教会の標準訳聖書となり、礼拝での朗読にふさわしい格調高く美しい日本語訳を目指すだけでなく、将来にわたって日本語、日本文化の形成に貢献できることを目指しています。
このような高い目標を達成するには、多くの方々のご理解とご支援に加え、神ご自身のお働きを求める祈りが不可欠です。これから開始されるこの新しい翻訳事業のために、ご支援、ご祈援いただきますよう、お願い申し上げます。
<翻訳方針前文>
近代日本における福音宣教の開始後、聖書はいち早く日本語に訳された。それは教会の正典として用いられただけでなく、言語、文学、思想など、日本文化全体の発展にも貢献した。過去の聖書協会による邦訳聖書刊行だけを見ても、『明治元訳』(1887年)の後、『大正改訳』(1917年)、『口語訳』(1955年)、『新共同訳』(1987年)と、およそ30年おきに改訂あるいは新訳がなされている。翻訳作業に10年かかるとすれば、『新共同訳』が刊行されて20年が過ぎた現在、聖書の新しい訳が検討される
べき時期が来ていると言えよう。実際、過去数十年間に生じた聖書学、翻訳学などの進展、底本の改訂、日本語や日本社会の変化、また『新共同訳』見直しへの要請が、新しい翻訳を求めている。
新しい聖書翻訳は、
(1)共同訳事業の延長とし、日本の教会の標準訳聖書となること、また、すべてのキリスト教会での使用を目指す。
(2)礼拝で用いることを主要な目的とする。そのため、礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳を目指す。
(3)義務教育を終了した日本語能力を持つ人を対象とする。
(4)言語と文化の変化に対応し、将来にわたって日本語、日本文化の形成に貢献できることを目指す。
(5)この数十年における聖書学、翻訳学などの成果に基づき、原典に忠実な翻訳を目指す。底本として、旧約(BHQ)・新約(UBS第5版)・旧約続編(ゲッティンゲン版)など、最新の校訂本をできる限り使用する。
(6)文学類型の違いを訳出して原典の持つ力強さを伝達する努力はするが、聖書が神の言葉であることをわきまえ、統一性を保つ視点を失わないこととする。固有名詞や重要な神学用語については『新共同訳』のみならず、過去の諸翻訳も参考にして、最も適切な訳語を得るようにつとめる。
(7)その出版に際して、異読、ならびに地理や文化背景などを説明する注、引照聖句、重要語句を解説する巻末解説、小見出し、章節、地図や年表、などの本文以外の部分は、できる限りさまざまな組み合わせを考え、読者のニーズに応える努力をする。
諮問会議議員(団体名順)
ウェスレアン・ホーリネス教団 黒木安信
キリスト教学校教育同盟(1) 寺園喜基
キリスト教学校教育同盟(2) 山本真司
沖縄バプテスト連盟 喜友名朝順
基督兄弟団 池本 潔
救世軍 平本 直
在日大韓基督教会 朴寿吉
聖イエス会 辻田協二
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 川上良明
日本カトリック司教協議会(1) 下窄英知
日本カトリック司教協議会(2) 岩本潤一
日本キリスト改革派教会 三野孝一
日本キリスト教会 三好 明
日本ナザレン教団 石田 学
日本バプテスト同盟 山本富二
日本バプテスト連盟 濱野道雄
日本ルーテル教団 柴田千頭男
日本基督教団(1) 内藤留幸
日本基督教団(2) 中野 実
日本聖公会 輿石 勇
日本福音ルーテル教会 鈴木 浩