2013年3月日本聖書協会発行『SOWER(ソア)』No.40より
*文中にご紹介する社名、人名や肩書き、製品やその機能、価格等は当No.発行時のものです。
*なお、写真や図版が加わったソアのバックナンバーPDFは
http://www.bible.or.jp/soc/soc07.html
からダウンロードできます。
日々聖書を読む恵み
聖書を日々、ご自分で読まれていますか。聖書は教会の典礼で用いられる以外に、さまざまな読み方があります。日本聖書協会は、できれば聖書全体を通して何度も読むことを推奨しています。
今回の特集では、教会を挙げてリレー通読を行った証しと、個人で通読した方々の感想をご紹介します。
−編集部
「聖書全巻リレー朗読」を体験して
風間義信
日本キリスト改革派江古田教会牧師、日本聖書協会理事
私の奉仕する日本キリスト改革派江古田教会は2013年4月に教会設立50周年を迎えます。しばらく前から、この感謝と喜びをどのように表したらよいだろうかと懇談会を重ねてきました。その結果、記念の一つとして聖書全巻をリレー朗読しようということになりました。
このような企画はすでに全国のいくつもの教会で実施されているようです。私も個人的に、2000年の東京大聖書展の際に行われた朗読会に関わったことがあり、いつか自分の遣わされている教会でも行うことができたらと願っていました。
議論の結果、教会の節目を迎えるにあたり、神の御言葉をリレー朗読することによって、さらなる献身の思いをいただこうとの結論に達し、「聖書全巻リレー朗読」と名付けて実施することにしました。実施するにあたっては、日本聖書協会発行の「聖書リレー通読マニュアル」を参考にさせていただき、特別講師を招いて朗読の基本を学ぶ機会を設けました。
具体的には2011年1月2日から、毎月第一主日の午後と何回かの祝日を使って一年ほどで読み終える計画を立てました。聖書全巻を続けて一気に読めば、96、7時間ほどで終了するようですが、徹夜などの無理はせず、また参加できなかった方もその分を自宅で読んで追いつけるように考えて、日程と時間配分を決めました。
開始後まもなく東日本大震災が発生し、私たちの教会では大きな被害はなかったものの、その後の計画停電や節電のことも考え、一時中断しました。そのため朗読期間は長くなりましたが、2011年末には旧約聖書を読み終え、2012年4月28日、50周年記念の一年前にヨハネの黙示録の最終章を参加者全員で朗読し、全巻読了となりました。この時に日本聖書協会から「認定証」をいただきました。
企画の段階では、家で通読しても変わらないではないか、朗読者が滞りなく与えられるだろうかなど、疑問や不安の声も上がりました。確かに、他者の前で朗読することが苦手な方もいらっしゃいます。ですから、突然その箇所を読むというのではなく、あらかじめ進行表の聖書箇所に名前を記入し、事前に練習して臨めるようにしました。
また、朗読はしなくても、聞く側で参加したいという方や、自分の朗読の時だけでなく、聞く楽しみを見出されて、長時間にわたって耳を傾け続ける方もおられました。
聖書は必ずしも全巻を通読しなければならないというものではありません。また、願いつつも、全巻、全時間参加できなかった人もいます。
それでも、主の御言葉によって呼び集められ、建てられた群れの一人一人が、教会に与えられた聖書(講壇に置かれ、礼拝の聖書朗読時に用いられるもの)から御言葉を順々にいただいて整えられていく姿は、格別のものがありました。そこには、ひたすら朗読と傾聴によって聖書の言葉に満たされていく喜びがありました。
礼拝で朗読される聖書箇所は、そう長いものではありません。また、個々人においても、声を出して聖書を読んだり、他社が朗読したものを聞いたりする機会は、家庭礼拝を除いてはさほど多くないでしょう。このたび、改めて声に出して聖書を読み、読まれた言葉を聞き続けるという、通常の礼拝とは違った御言葉の味わい方をすることができました。
参加者の中には、ふだんは携帯電話やスマートフォン、パソコンの画面によって聖書を読んでいる人もいるようです。こうして聖書に親しむことができるのも嬉しいことですが、1ページ1ページ手で開き、記された言葉を目で追っていくことは(目のご不自由な方は点字の聖書を使っていました)、基本的な聖書への接し方です。
一定期間に、自分の聖書にも、朗読した講壇の聖書にも、全ページにわたって朗読の際の手垢がつき、歩調をあわせて進むことができたことは、教会にとって大きな喜びであり、記念にふさわしいものだったと思っています。
朗読者には小さな子どもも含まれています。子どもたちが朗々と読んでいる姿を見て、改めて聖書本文にすべてルビが付いていることの大切さを感じました。また、「何ページを開いてください」と言われれば、大きな判型のものでもポケットサイズのものでも同じ言葉がそこにあるという感動を持った方もおられるようです。
教会の記念として行った「聖書全巻リレー朗読」は、幸いにも最後まで進むことができました。でも、これで終わってしまったら、教会の記念としては空しいものとなってしまいます。
私たちの生涯が御言葉と共に歩むものですから、この機会によって、これまで以上に一人一人、各家庭の聖書朗読が促されるものとなればと願っています。幸い、他の翻訳(今回は新共同訳聖書を使用)を使って通読を始めたり、今一度、新しく聖書を購入して再通読を行っている人もいるようです。
まさに「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」(詩編119編105節。朗読を開始した2011年の当教会の年間聖句)として、御言葉と共にある生涯を送っていきたいものです。
御言葉を礼拝堂に刻む
宮本義弘
日本基督教団 沼津教会牧師
沼津教会では2012年秋、6回目の聖書全巻リレー通読を終えました。教会でこれに取り組むにあたり、役員会で協議した時、やるなら最低10回は続けたいと願って始めたものです。
始めてみて気づかされたことがあります。聖書のリレー通読が流行らない理由です。それは牧師が苦労するからです。聖書全巻を通読するには85時間ほどかかります。
最初、沼津教会ではそれを1週間で行うために、朝の5時に始めて、夜の12時に終わるという時間割をつくりました。しかしこれでは、教会の鍵を外したり掛けたりするだけでも牧師は睡眠不足になってしまいます。
そこで現在では、朝は6時から始めて、夜は11時に終わるようにし、朝、鍵を外すのは牧師、夜、鍵を掛けるのは妻と、担当を振り分けています。ここを乗り越えれば、リレー通読は楽しくなります。
リレー通読の面白さは、1週間がお祭りのようになることです。これは、教会員が始終、教会に出入りするから。また、礼拝には敷居が高い人も、「聖書を読むだけなら」と気軽に参加してくれること。特別伝道集会を開くよりも安上がりなこと、そして、何にもまして御言葉には力があることを経験できるところです。
リレー通読では、礼拝堂の中で1人で聖書を読むようにしています。その朗読の声はスピーカーを通してロビーに聞こえてきますが、本人は1人で聖書と向かい合い、朗読することで自分の中に御言葉が入り込んできます。その経験が楽しかったから6回も続いているのです。
ある教会員もこんな感想を漏らしています。「初めの頃は、朗読してもカタカナの名前に舌がもつれ、字を追うのが精一杯で、内容を味わえていないこともありました。しかしここ1、2年は、朗読しながら胸が熱くなる経験をしています。生活の中での行き詰まりから解き放たれる思いにさせられる箇所に不思議とあたるのです。
『あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる』(詩編55・23)。朗読しながら心に留まった箇所です。与えられた御言葉として味わいたいと思います」
わたしは教会員のみなさんに、「御言葉を礼拝堂の壁に染み込ませるつもりで朗読してください」とお願いしています。沼津教会に初めて来た人が「この教会の雰囲気は何か違う。それは何だろう」と感じてほしいからです。
そして、この礼拝堂には御言葉が染み込んでいると分かった時、明治10年に創立された沼津教会の歴史の重さを改めて実感してもらえると思っています。
不思議な力と元気をいただきました
カトリック河原町教会教育部
文=光家亮子(同教会信徒)
2009年6月26日から始まった教育部主催の聖書通読会が、2012年5月25日で完了しました。毎週10章ずつ137回、2年11カ月かけて聖書全体を読んでいく集いでした。最終日に花井神父様にご出席いただいて、参加者で聖書通読の感想を分かち合いました。
「毎週金曜日の午後、十数名で聖書を輪読するだけの集まりでしたが、皆で励まし合って通読完了できたことに感謝しています。生涯一度は聖書を全巻読んでみたいけど、一人ではなかなか読めないという思いから始まった通読会でした。神様がすべてを導いてくださっています。みことばの力を今つくづく感じています」
「聖書は、声を出して読むのと黙読するのとでも違いがありますが、さらに他の人が読むのを聴くと、神様のみことばがわたしの心の中に入ってくるのを感じます。ミサで読まれる箇所は部分的なので、聖書全体を読んで、あの聖句はこの箇所なのだなという発見がありました」
「三年前、京都に来た時、知り合いは一人もいませんでしたが、この通読会で多くの出会いがありました」
「聖書を読んでいくうちに、神様が大好きになりました。イエス様が十字架にかけられたその時間にみことばに触れて、不思議な力と元気をいただきました。あたたかい笑顔につつまれた愛の喜びの幸せな場所でした」
「戸棚の中にしまっておいた聖書をやっと開くことができました」
●聖書にどんなに支えられてきたか話したい
日本基督教団港南希望教会で聖書全巻の連続講解説教を語り続け、2008年に隠退した小島一郎先生からは、次のような言葉をいただきました。
「教会員に御言葉をどう語ろうかと苦労しながら説教を続けてきましたが、隠退後は、自由に、自分のために、いろいろな聖書の読み方ができ、神様と直接お話ができる喜びを味わっています。
それでもなかなか牧師根性が抜けないせいか、この聖書を読む喜びをほかの人と分かち合いたいという気持ちが湧いてきます。嬉しいとき、悲しいとき、不安なときなど、私が聖書によってどんなに支えられてきたかをお話したいです」
小島先生にはこれからも、聖書の伝える福音をぜひ語り続けていただきたいと思います。
●通読認定証を励みに
日本聖書協会発行の「聖書通読表」を用いて聖書通読された方には、通読期間や感想などをご報告いただくと、「通読完了認定証」を差し上げています。この認定証制度が「日々の聖書通読のモチベーション維持に役立っている」との声が今年初めにも寄せられました。毎年のべ100人の方に認定証をお送りしています。
2012年の1年間で、13回も通読なさった方、また、2010年から3年間で6回通読した方もいらっしゃいます。過去に10回通読し、「今回は一章ずつ丁寧に読もうと思い、一年半も費やしました」と言われる方、「25回続けた」方、今回が3回目で「続編を初めて読み、シラ書、知恵の書はとても面白かった」とおっしゃる方など、繰り返し通読されているとの報告を嬉しく拝見しています。
●聖書全巻の重み
一方、初めて通読された方々の喜びの声も。
「1日3章ずつ読んで1年3カ月かかったが、毎日、主の御言葉に励まされ仕事をしています」
「約8年もかかった分、熟読できた」
「完読した後はおなかが一杯な気持ちになった」
「43年生きてきて、初めて1つのことをやり終えることができた」
「通読すると、信仰が強められ、神さまの導きに素直に従えるようになります」
「1日10章を目標にして、朝1時間15分くらいかけて読みました」
「始めた頃はカタカナ言葉に悩まされ、絶えず頭の隅で他の事を考え、内容が十分に頭に入りませんでした。……いつまで続くかと自信をなくすこともありましたが、健康が支えられ、気力も湧いてきて、やっと14カ月かかり通読を終えました。私の人生の一大事業でした」
●御言葉に養われて歩む
聖書の御言葉を掲げて、日々の歩みに新しい思いを重ねる方々もいらっしゃいました。
「『いのちの言葉を堅く持って、……星のようにこの世に輝いて』いけたらと願っております(ピリピ2章15節、口語訳)」
「『知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなく……お与えになる神に願いなさい』(ヤコブ1章5節、新共同訳)とあるように、日々、神様に1日を送る知恵を祈る事にしました」
「リビング・バイブルで『あらゆる角度から、神様のお約束を検討してみた上で、私はそれに惚れ込んでいるのです』(詩篇119篇140節)とありますが、私もみことばに惚れ込み、首ったけになってゆきたいと願っています」
洗礼を受けようとする方々も、聖書通読によって信仰を養われているようです。
「4月に洗礼を受ける私の心に、より強い光をいただきました」
「受洗したのが2008年12月……。その少し前から1日1章読み始めて、2012年1月5日に初めて1回目の通読が終了しました」
「3回目ですが、多くの新たな学び、神の語りかけがありました。特に今年は洗礼を受けたので、深い意味をもって導かれました」
●日ごとの糧として
聖書通読をきっかけに新しいステップへ進まれる方々の決意も伺うことができました。
「慣れ親しんだ聖句を再発見し、全巻におけるその聖句の位置づけを知ることができた。この感動をバネに2回目にチャレンジします!」
「今回は途中、入院する時も聖書を持っていきました。主が共にいてくださると感じました」
「みことばなしの生活は考えられないほど、日々の糧となっています」
「これまで以上にヨブ記が心にしみました。みことばの通読の大切さを改めて実感しています」
また、通読を通して具体的な生活の中に主の導きが与えられている様子もうかがえます。
「家内と毎朝、輪読することにしています」
「いつでもどこでも祈る事の大切さを覚えました」
「教会での聖書研究会にも出席できるようになり、旧約聖書もおもしろくなってきました」
「聖書の学び会、先生との勉強会、略解本などを参考に、より理解が深まり、たくさんのお恵みをいただきました」
●光を輝かせる
「読むたびに新しい発見と学びがある」というコメントも複数ありました。「読み返すたびに難しい所、読みづらい所が変わっていく」、「聖書は何度読んでも厳しいと思いました」というのも、同じことを言われているのでしょう。
どうか聖書を読み続けていくうちに新しい光が与えられますように。そして、その光を輝かせましょう(マタイ5章16節)。聖書通読によって整えられ、そこで与えられる御言葉に生かされる者でありたいと思います。