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標準となる日本語訳聖書を求めて

掲載日:2014/11/11

標準となる日本語訳聖書を求めて

2014年3月日本聖書協会発行『SOWER(ソア)』No.41より
*文中にご紹介する社名、人名や肩書き、製品やその機能、価格等は当No.発行時のものです。
*なお、写真や図版が加わったソアのバックナンバーPDFは
http://www.bible.or.jp/soc/soc07.html
からダウンロードできます。

日本聖書協会が2010年に新しい翻訳事業を開始して3年余り経ちました。同年発行のソア35号で本事業開始にいたる経緯や概略についてご説明しましたが、本号では、本事業の特徴と翻訳作業上の困難な側面をお伝えします。新しい日本語聖書をご理解いただくとともに、ぜひご期待ください。
−編集部

新翻訳事業の特徴

このたびの翻訳事業には「新しい」という言葉がついているので、『新共同訳』とはまったく違う新しい翻訳なのだ、という印象を与えてしまいます。しかし実際は、『口語訳』や『新共同訳』を中心に、過去の翻訳の労苦や業績の上に立った翻訳であり、ゼロから訳す翻訳ではなく、その集大成とも言えるものです。

では、今回の翻訳事業は過去の邦訳聖書、特に『新共同訳』とはどこが違うのでしょうか。

『新共同訳』は、日本語としての自然さと分かりやすさを目指しました。この点ではたいへんすぐれた翻訳で、専門家からの良い評価を受けています。

しかし、その反面、「冗長な箇所が多いので、リズムのある文章、教会での朗読にふさわしい、格調のある美しい文章にしてほしい」という要望が多いのも事実です。そこで、『新共同訳』の良さを保ちながら、よりしまった、より美しい邦訳聖書を生み出したいというのが、今回の事業の最大の特徴と言えます。

その目標を達成するために、いくつかの新しい方法をとっています。

  1. 原語担当者と日本語担当者の二人三脚

今までは、聖書原語を理解する方々を中心に翻訳がなされ、それを最終的に日本語の専門家がチェックするという方法がとられてきました。しかし、今回の事業では、原語担当者と日本語担当者が最初から二人三脚で翻訳を行います。

原語担当者は原典の意味を明らかにし、日本語担当者はそれをより良い日本語にするのです。この方式は、2004年に刊行されて成功を収めた最新のオランダ語聖書から学んだものです。

  1. 朗読チェック

ある程度、稿が進んだ段階で、それまでまったく本文に触れていない二人の方に朗読チェックをお願いします。

一人が朗読し、もう一人がそれを聞いて、同音異義語、分かりにくい単語、句読点の位置など、気がついた点を指摘し、それを翻訳にフィードバックします。こうすることによって、典礼での朗読にふさわしい聖書にするという目標により近づきます。

  1. 本文注

自然で美しい日本語を目指すと、直訳から離れる場面も生じます。そのため、本事業においては、脚注に直訳などを記すようにしました。

  1. モニター制度

翻訳が出来上がると、書の単位で印刷して、モニターの方々に読んでいただき、翻訳文の評価をしていただきます。その評価を検討し、最終的に本文を決定します。

以上のような方法で、原典に忠実でありながら、より良い日本語の聖書を生み出そうとしています。

翻訳作業の難しい点

本事業に関心を持っていただいている方々から、聖書を翻訳していく上で難しい点を尋ねられます。

翻訳作業の困難な点の一つは、原典に形式的に近いものか、日本語として自然なものかという綱引があります。

一つの例を挙げますと、原語の語順に近づけるのか、日本語の自然な語順にするのかという点です。たとえば、『新共同訳』イザヤ書40章2節は、第1稿では次のようにヘブライ語の語順のままでした。

語りかけよ、エルサレムの心に

これが最終稿では次のように直っています。

エルサレムの心に語りかけ……よ

また、代名詞を訳出するか、極力省くかという点もあります。ヘブライ語やギリシア語の原文では「彼は」「彼らは」「あなたがたは」が頻出します。原語担当者は、原文にあるので代名詞を残したい。しかし日本語担当者は、それは不自然なので省きたい。そういう綱引があります。

文章が冗長になるとしても分かりやすくするのか、分かりにくくても短くするかという問題もあります。『新共同訳』の一部では、分かりやすさを目指したために説明的になり、単語が長くなる傾向がありました。こういうことは極力やめるというのが今回の方針です。

たとえば、詩編1編1節の「ラシャー」というヘブライ語は、『新共同訳』では「神に逆らう者」と訳されましたが、今回は「悪者」あるいは「悪しき者」となる予定です。

詩編5編9節を見てみましょう。

(『新共同訳』)
主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き
まっすぐにあなたの道を歩ませてください。

(新翻訳第三稿)
義をもって、わたしを導いてください。
わたしの前に、あなたの道をまっすぐにしてください。

『新共同訳』では「ツェダカー」というヘブライ語は「恵みの御業」と訳されました。分かりやすくするため、説明的になってしまいます。しかし今回は、『口語訳』のように「義」あるいは「正義」と訳す予定です。また、『新共同訳』の「まっすぐにあなたの道を歩ませてください」は意訳です。直訳すると新翻訳のようになります。
箴言1章18節はどうでしょうか。

(『新共同訳』)
待ち伏せて流すのは自分の血。
隠れて待っても、落とすのは自分の命。

(『口語訳』)
彼らは自分の血を待ち伏せし、
自分の命を伏してねらうのだ。

『口語訳』は直訳のため意味が分かりにくいですが、『新共同訳』はすっきりと意味が分かり、リズムもあります。日本語としては『新共同訳』のほうが良いのですが、それではかなりの意訳となります。新翻訳ではどうしたらよいか、今後の課題です。

このように、聖書の翻訳においては、原典に忠実であるということと、自然で美しい日本語にするという二つの相反する求めを何とか一つにする点に大きな困難さがあると言えます。

皆さんは、先ほどの具体例をどう思われますか。

最後に

今回の翻訳事業では、十分な時間をかけて一つ一つの文言を熟成させ、神の言葉が、それを開く一人一人の心に迫るような聖書翻訳をしたいと思っています。また、明治時代の『文語訳』のように、将来の日本語をリードするような聖書を出したいという願いもあります。拙速な翻訳では、教会にも社会にも受け入れられないでしょう。

しかし同時に、あまり時間をかけると、事業自体が立ち行かなくなり、出版にまで至りません。翻訳者が翻訳し、委員会で検討すべき文言は3万7000節(1365章)にも及び、翻訳と会議には多額の費用がかかるからです。

まさしく、この事業を実現するには、神ご自身のお働きを求める祈りが不可欠です。『新共同訳』を牽引していったシュナイダー神父は、聖書翻訳は神のわざであると語って背後の祈りを要請し、意見が対立する会議では、途中の休み時間に祈る方でした。今回の事業でも皆様のご理解とお祈りを願うものです。

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